くぼさんのとうふ

くぼさんのコラム

第1回 〜私がこだわり豆腐作りを始めたきっかけ〜
第2回 〜ナカセンナリ大豆に惚れ込んで〜
第3回 〜漬物と付物〜
第4回 〜お茶事情〜
第5回 〜磯焼けを海中林に〜
第6回 〜食用油について〜
第7回 〜劣化競争〜
第8回 〜安全と安心〜
第9回 〜里山と里海〜
第10回 〜山地牛乳〜
第11回 〜良い食品博覧会〜
第12回 〜食育〜
第13回 〜民芸〜
第14回 〜玉子とうふに一考〜
第15回 〜碁石茶〜
第16回 〜讃岐うどん今昔〜
第17回 〜チョコレート〜
第18回 〜梅干し〜




第1回 〜私がこだわり豆腐作りを始めたきっかけ〜

私は25歳の時に父の跡を継ぎ豆腐業に入りました。
当時、大豆はアメリカ産を100%使用し、にがりは中国産、もちろん消泡剤も使用、油揚の生地作りには膨張剤も添加し、食油は抽出法(ノルマルヘキサン使用)の大豆油、卵とうふの卵も調味料も無頓着で、いかに効率よく低コストで作るかを第一に考えていました。
今から振り返ると何と傲慢で、自分勝手なことばかり考えていたことかと、恥ずかしく思います。

30歳の頃に、知り合いから淡路島モンキーセンターでの奇形猿の写真を見せられ、話を聞いた時のショックは今も忘れられません。
奇形の主な原因が、飼料のアメリカ産大豆の農薬にあるということ、当時のポストハーベスト農薬は野放し状態らしく、かなり残留性が高く、死んだ猿の解剖結果では体内から有機塩素系農薬が出たと聞いています。昭和45年頃には約5割の確率で奇形猿が生まれたそうです。奇形の特徴は四肢に異変が起き、ひどい時には手足の無いダルマ状態だったと…。
モンキーセンターには、中橋さんという奇形猿の生態を長い間記録している方がいて、会ってお話を伺いました時も昔ほどではないが、まだ1割程度の奇形猿が生まれているとのことでした。人間に一番近くて同じ食べ物を食べている日本猿、これを人間に置き換えると2〜3世代後に出る兆候だというお話しもショックでした。中橋さんが帰り際に「奇形猿の問題は人類に対しての警告なので、どうか風化させないでほしい」とおっしゃいました。

その頃、私にも長女が生まれていましたので、何か身近なものからということで、豆腐の原料を国産大豆に切り替えていくことにしたのです。

それから間もなくして、高知県で当時一人で天日塩作りをしていた生命と塩の会(現土佐のあまみ屋)の代表小島正明さんを知人から紹介してもらい、天然のにがりで豆腐を作るようになりました。

また、消泡剤を使わなくなったのもこの頃でしたが、煮沸中に泡が吹いたり火傷をしたりと、なかなかうまくいかず困っていました。
すると、ある方から「豆腐は伝統食品なので、歴史を調べたら」とアドバイスして頂きまして、50〜60年前ごろまで使われていた“米糠で泡を抑えながら炊き上げる製法”を再現することができました。

1991年には、大阪の「こんぶ土居」社長土居成吉さんを通じ「良い食品作りの会」へ入会させて頂きました。
良い食品作りの会への入会当初は、カルチャーショックと感動の連続でした。
良い食品作りの会の勉強会を通じて、基礎調味料の大切さ、また原材料に遡って1次産業の重要性も強く感じました。

当店の豆腐製品が一皮剥けたのも、この頃からです。
油揚加工品に使用する食油も全て圧搾法の油にして、卵とうふの卵・合わせるだし・醤油・みりん・酒・塩・酢等の調味料も無添加の物に随時変更していきました。

昔の作り方を再現しながら感じたことは、戦後あらゆる食品が効率の名のもとに何か大切なものを失ったということです。
豆腐に限らず、いつの頃からか、どこで買っても同じ味という味の画一化がすすみ、同時に化学合成添加物が多く使用されるようになりました。

私が若いお母さん方にお願いしたいのは、食べ物はイメージでは買わないこと、表示をよく見て判断してほしいということです。例えば表示を見て、不自然な着色や着香の物は買わないとか、保存料入りのものは買わないとか自分独自の購買基準を持つこともひとつの方法だと思います。
しかし、近年は原材料表示のごまかし等もあり、誠実な表示をしているメーカーを見分けるのが大変になってきているのも確かです。
これまでの食品業界での大きな事件や一連の偽装等は全てメーカーの都合、売る側の都合で起こっています。

家族のために良い食品を見分ける目を持ちたいと思っている消費者の方々に、少しでも解り易く、そして喜んでもらえるような「安心という名のおいしさ」をお届けできるように、私は今後も豆腐作りをしていきたいと考えています。